社長の思いつ記 2015.11

皆様こんにちは。始まったばかりと思っていた2015年もあっという間の最終コーナーですね。諦めの悪い私は有終の美を誓って、かけがえのない今年づくりをココから始めたいと思っています。ちなみに、10月にスタートした当社の今期のキーワードは、「今、ココ、私」です。未来のありたい姿に向けて、「今、ココに、私の行動を問おう」のメッセージを込めたものです。


 さて、リフォーム・イベントでご協力を頂くLIXILの収納アドバイザー松下先生に、「これからの収納で、お客様に伝えたいことは何ですか?」とお尋ねしました。その返答は、「"終活"をテーマにしたい...」でした。さすがにこれには絶句です。住宅リフォームは新たな生活シーンを豊かに楽しくすることなので、そんなイベントで「終活」をテーマにするのはとても無理。私が終活という言葉に持つ意味合いは、「人生の終わりに向かっての準備や身の回りの片付け」ですから、当然の反応とご理解頂けると思います。


 また、85歳になる母のことを思い浮かべると、「モノを捨てる」ことへの大きな抵抗も容易に想像ができました。両親の生まれ育った時代はモノのない時代です。それだけにもったいないの気持ちは強いし、何かに使える...と思うと捨てられない。しかも、捨てることは思い出をおざなりにすることのように感じているようです。


ともあれ、終活をテーマに伝えたいその理由を聞いてみました。
 松下先生によれば、多くの思い出や多くのモノに囲まれた人生のベテランこそ、これからの有意義な生活に向けた生活のシンプル化=終活が必要だと言うのです。


 この説明にはピンと来るものがありました。最近、独居生活を送る母の家の掃除をする機会がありましたが、掃除の行き届かない状況は半端ではありません。もとより、年老いた母が掃除できる範囲など限られます。それに加えてモノの多さ。メモ用紙にするつもりの広告の裏紙、レジ袋、買い物の紙袋や包装紙。銀行や電気店のイベントでもらう記念品やノベルティまで、「何かで使える」「もったいない」の思いで積み上がったモノが溢れているのです。おまけに捨てようとすると“モノを粗末にする”と怒られちゃう。


 妻が訪ねるときも姉が帰省するときも、これらアンタッチャブルな環境を目の当たりにすると、掃除心は見えている床部分のみへと消沈していくのです。母自身もとってはおくものの、整理しきれないまま、ひとまず空き箱に収めて窓辺やキッチンカウンターに積み上げるのは実は苦痛なはずです。探し物をムキになって長い間探したり、そんな時間を恨めしく愚痴るのは、母の貴重なエネルギーの浪費に間違いありません。


もし、部屋の中がホテルや旅館とまではいかないまでも、要るもの・どう使うものかが分かるようになっていたら、家事の応援はもっとしてあげられるのに。母にしても、大切なものが分かり易く、そのありかにサッとたどりつけたらもっと楽ができるし、何より、家が汚れているから人に来て頂けないというストレスからも開放されるはずです。
 松下先生の言う通り、人生のベテランこそ、これからの生活に向けたシンプルな環境(大切、あるいは好きなモノやコトに囲まれた生活)が必要なのだと思う。ただ、“終活”という言葉はやっぱり淋しすぎます。


あるテレビ番組で、イキイキと100才まで生きる「100活」の取り組みが紹介されていましたが、これ、いいですね!「100活」。終活に比べてはるかに素敵な言葉ではないですか?
 イキイキと100才まで健康に生きるために、モノや思い出を整理していく。過去の私を存在証明するモノや思い出に直ぐにたどり着けるようなシンプルな生活にしておく。 捨てることばかりに目が向きがちですが、これからに向かって必要なモノや思い出にフォーカスして「残すものを決める」。これならしっくりきます。


絶対無理と思えた終活テーマですが、生活シーンを豊かに楽しくする“100活に向けたダンシャリ(断/捨/離)セミナー”」として皆様にセミナー提供をできる日も近いかもしれません。乞うご期待です。
                                                                                      (プラスデコ代表:原田 学)