「元気ライフ」創刊100号
皆さま、こんにちは。開催前には中止や再延期の声が大きかった東京オリンピックですが、選手の頑張りには多くの感動をもらいました。国ごとのメダルの数が話題に上りますが、そんなの関係ない!私自身は人間技とは思えない競技や演技であっても、同じ人間の猛烈な努力の積み重ねである事実を勇気にしたいと思っています。ただ、開催期間中から増え続ける新型コロナウイルスの感染が本当に身近になってしまいました。できる限りの 防衛策をとって、皆さまが平穏なうちにコロナ禍が収束することを願うばかりです。
さて、日頃はプラスデコへのご用命、また本誌元気ライフを手に取ってくださり本当にありがとうございます。お陰様で本号が記念すべき100号になりました。隔月発行で、スタートは17年前の2004年6月に遡ります。当社の活動や思いを知っていただこうと始めた本誌ですが、けじめの号の作成にあたってバックナンバーを振り返ってみると、プラスデコにとっても、17年間の貴重な記録となりました。冒頭の「思いつ記」を担当した私も、このような機会がなければ2ヶ月間を振り返って気になることやその時の思いをまとめるなど、決して続けることはできませんでした。本当にありがとうございます。
元気ライフのスタートの頃は、私はまだ子育ての最中でした。この17年の間に先代である父、母も亡くなり、二人の子供は独立し、新たな命も誕生しました。私の隔月記を振り返るだけでも、様々な出来事が思い出されるのですから、リフォームという仕事は、家族の変化や多くの縁、人の想いや時間に接する仕事だと改めて感じます。ここには、その場限りには済まない記憶が遺されたり、あらたな思いを生んだり、育んだり。それが幸せにつながるものであるよう祈りながらする仕事のように思います。
2005年のvol.9で、私は建材メーカーから出向していたSさんの送別のことを綴っています。彼は在籍した2年間で、当社の社員以上に苦労を重ねて、出向元で表彰されるほどの業績を残し、送別会では営業部長は男泣きしました。Sさんを励ましながら部長もその姿に励まされ、共に歩んだ時間はそれほど別れ難いものになったのです。Sさんという人は、これからも多くの人の大切な人として生きるのだろうと、この号では結びました。
それから何年かして悲報が届きました。彼は病に倒れて逝った。単身伊那に乗り込んで苦労した2年間を大切に思ってくれていたのでしょう。家族だけの葬儀にもかかわらず、最後のお別れに席を用意して頂けました。そのときに挨拶したお子さんは中学生でしたが、一昨年に奥さまから、お子さんが医大生になったと連絡を頂きました。きっかけは、病に倒れたお父さんを看取っての奮起だそうです。17年という時間は命でした。誰にとっても喜びも悲しみもある命に、これからの元気や幸せを祈りながらする仕事として、あらためてプラスデコの事業に努めて参ります。
代表 原田 学