NCC創業者 原田昭廣のお話 ③
猛暑日が続いたこの夏も、お盆過ぎにはようやく涼やかな朝夕を迎えるようになりました。皆様にはご健勝で思い出詰まった良い夏を過ごされましたでしょうか。猛暑日が続いたこの夏も、お盆過ぎにはようやく涼やかな朝夕を迎えるようになりました。皆様にはご健勝で思い出詰まった良い夏を過ごされましたでしょうか。
創業60年の当社は9月が決算月。前々号から続けてきた先代 原田昭廣の話を締めくくりたいと思います。私は24年前に精密電子メーカーから当社に転身しましたが、彼は私にどんなポジションで仕事をさせるか周囲にあれこれ相談をしていたようです。結果はいきなり副社長。現場での下積みを一切せずに不良債権処理や会社の仕組みづくりを担当することになりました。「現場にいてもお前は二代目と見られて、嫌われ役を買ってくれる社員は少ないだろう。責任ある立場で人の嫌がる仕事をせよ。」それが私への辞令でした。サラリーマン時代の私が数字に追われ、当社とは異なる厳しさを経験していることを先代が承知していたことも、こんな配属の理由の一つだったかも知れません。
長野オリンピック後に頻発した不良債権の処理や製品をめぐる損害賠償、産廃処理業者倒産による再処理など、私にとって当職は動じない心づくりには最適なポジションでした。また、キャリアの浅い現場担当者さんに今も敬意なしにいられないのは、現場経験のないまま、信じて任せることからスタートしたことによっています。
先代は68才で社長を交代、会長職となりましたが、それから明らかに私とのかかわり方が変わりました。相談をしても「お前はどうしたいのか」を聞くのみで決して反対をしません。そのうちに相談すら「もうしなくていい」。このことを問うたことがありましたが、「やめろと言ったらお前は止められるのか?失敗をしても、次に生かすことがお前の責任ではないか。」創業者として多くの失敗を積んで得た教訓は、失敗の機会を逃さないことだと言わんばかりでした。“俺はそうしてきた”と。
私への応援はこれにとどまりません。先代世代の社員さんが新たな取り組みや研修に嫌悪を示しているとみるや、ベテラン社員さんに向けてこんなコメントを出してくれました。
私たちベテランは成功体験や過去の経験、知見を持っている分それを捨てるエネルギーが若い人より余分に必要だ私たちは 古い判断基準を総動員して新しいものへの応戦を試みるがそのエネルギーを過去を捨てることに向けよう古きを一度捨て 新たなものと混ぜ合わせて最適な解を織りなすことこそ若者にはできない私たちベテランの発揮すべき能力であるこれは経験豊富な社員さんにとって最高の応援メッセージとなり、新体制の下で心を一つにしてくれる大きな力となりました。
2007年5月、彼は咳が出るからと自ら病院に向かいそのまま入院。数週間で容態は悪化して家族が呼ばれました。その最中、私の携帯に父が役員を務める会社の社長から、「株主総会に向けて相談したいことがあるので取り次いで欲しい」と連絡が入ります。彼が今病院にいること、すぐには退院できないこことだけ告げて電話を切りましたが、同時に妻が病室から慌てた様子で駆け寄ってきました。「お父さんが、お父さんが...」
原田昭廣 逝去 享年75歳。すべてから開放された安心感なのか、それまで見たことがない穏やかで綺麗な表情でした。経営者として天寿を全うする瞬間まで相談が寄せられた最後は見事と思う。彼が社名に込めたナイス・コミュニケーションは当社が育てるべき大切な種。ナイスコミュニケーションから始め、それぞれの幸せへ。そんな花を咲かせ、実をならせ。私たちはその使命を大切に繋いでいきます。
プラスデコ代表 原田 学