人生の四季
皆さま、こんにちは。私は元高校球児で(意外ですか?)、先日は卒業以来初めてOB会に出席しました。髪の長い先輩たちを見るのは初めてで、誰か見当もつかない先輩もいましたが、「潔くスキンヘッドにした!」という先輩は直ぐにわかりましたし、少し話し始めれば、誰もが当時の面影をしっかり残す人たちばかりでした。相手が変わったこともあるでしょうが、長い時間が過ぎ私の記憶が薄れていたことは確かだと思います。
さて、以前に少し触れたことがあるかもしれませんが、人生を春夏秋冬になぞらえた人生四季論にはいろいろあります。私の年齢まで来るとどんな「人生の四季論」を見ても冬の季節は外れません。引退をしたり、次世代に引継ぎをする時季であり、表舞台での役割は確かに終える頃なのだと思います。それなのに、若いときには冬のことなどそっちのけで、私の春や夏の季節はあまりにも無計画だったと思います。ただ、先代である父と意見がぶつかり、「お前に人生の下り坂にいる者のことなどわかるまい」と言われたことを静かに思い出します。社内で行う「7つの習慣」研修には“農場の原則”というものがあり、そこでは「春に種蒔きを忘れ、夏は遊びたいだけ遊び、秋になってから収穫のために一夜漬けで頑張る。そんなことはありえない!」と学びます。農場は自然のシステムで動いており、必要な務めを果たして定まった手順を踏まねばなりませんし、種を蒔いたものしか刈り取れません。そこに近道はなく、人の行動も人間関係も農場の原則が支配する自然のシステムだというのです。
自分自身を耕して将来のタネを植える「春」は学生時代から社会に出て中堅になるくらい。種を育てる「夏」は働き盛りの年齢で、役職を得たりして人を育てる時期とも重なります。人生の四季論を提起した一人ダニエル・レビンソンの発達段階説によると、夏は社会に出る頃から45歳頃とされています。いずれにしても、春や夏の自分の育て方が大事ってことみたい(泣!)。人生の四季論から見ると、昨今のワークライフバランスや働き方改革に年齢という視点を欠いているのが気になります。無計画で失敗した!と反省する私だから余計に思うことかもしれませんが、“農場の原則”は今もしっかり働いていると思うのです。この件はお笑いコンビ「キングコング」のツッコミ役で、今や実業家でもある西野亮廣さんの新刊に的を射た記述があります。彼は「投資」の話として人生に「年齢」という視点が抜け落ちていると言い、“20代の最大の武器は「体力(量)」で、人生の中で最も体力(量)を投下できるこの季節にそれを投じて「質」を手に入れろ”、と言っています。働き方改革で得た自由な時間を、20代の人なら仕事の質を高めるための鍛錬に当てる。それが30代になったときに質の高い仕事となって、更に40代のよい人脈につながっていくというのです。物覚えが悪くなり身体的資本が目減りをしていく40代から上の世代にはがっかりな話ですが、彼はこの章をこう結んでいます。「すべての痛みを受入れ、今日からやれることを今日からやるしかない。木を植えるのに最適な時期は20年前だった。次に良い時期は今日だ」 悔しいですが、その通りだと思います。
明治維新の中心人物を送り出した思想家の吉田松陰も人生の四季論を述べています。彼の場合は若くして命を落とすことを覚悟していたのか、“人は皆、年齢に関わらず自分の「春夏秋冬(四季)」を持っていて、何歳で命を終えても、その人なりの花を咲かせ実らせることができる”と言っています。松陰は29歳で処刑されましたが、「自分は短い人生の中でしっかりと実りを迎えた」と納得していたと言います。
今の年齢になった私が、若い人に向けて「若いときの苦労は買ってでもしたほうがいいよ」と言っても聴いてもらえないかもしれないですが、人より苦労をすることは自分への信頼という意味でも、その後のキャリアを支える自力にとっても損はないと思います。能楽師の世阿弥は年老いてからも、その年齢にふさわしい新しい芸(挑戦)の段階があることを知ることを「老後の初心忘るべからず」という言葉に残しています。私の場合には、後継に道を譲ったり、人生の季節外れであっても、老年期の中の春を思って種を蒔き、育てて行けということだと思います。収量はともかく、蒔かなくては何も始まらないので。
プラスデコ代表 原田 学