お世話になった方へ感謝を伝えに行く。

 皆さん、こんにちは。緊急事態宣言が解除されても、メディアでは「withコロナ」「afterコロナ」と言う言葉が飛び交います。ニューノーマル(新常態)と言われる世界がこれまでとどう違うのか私にはまだ分かりませんが、どんな変化であっても、「これもまた良し!」と受けとめるよう、態度だけは決めています。

 さて、近年できるうちにしておこうと思う一つは、お世話になった方に感謝を伝えに行くことです。いつでもできると思っていましたが私もしっかり年を拾っています。先輩世代や恩師におかれては急な訃報に接して後悔することもしばしばです。少し前のことになりますが、小学校でお世話になった担任の先生とは妻の仕事の関係で偶然にも再会の機会に恵まれました。

 会って話したかったことの一つは、「親友に手紙を書く」と言う授業のことでした。当時いじめっ子だった私は親友と言われて困ったのですが、その時期によく一緒にいたM君かなぁと、思いを綴りました。書き終えたみんなの手紙を先生が集めて、今度は配達人よろしく宛先に配って行きます。親友からの手紙が届くわけですから受け取ったみんなは大喜びです。私は親友と思って書いたM君から手紙が届くかどうかドキドキしながら待っていました。先生が全てを配り終えたとき、私の目の前には誰からの手紙もありませんでした。悔しかったのか恥ずかしかったのか、そのときの気持ちはよく覚えていません。両想いの手紙は別にして、もらった手紙に返事を書くのが次の課題です。何ももらっていない私はすることがありません。M君からは、親友と思ってくれて嬉しい的な返事が来たのだと思いますが、正直、私の片思いが恥ずかしいとか、裏切られた!の思いが強かったのでしょう。そのときの手紙も私の気持ちも記憶の中には残っていないのです。ただ残酷な授業として私はラベルを貼った。

 大人になってから子供時代の思い出として時折この授業のことを友人に話しましたが、私には明らかにこの授業の残酷性への同意を求める気持ちがありました。しかし、30才に差し掛かったころのあるとき、この話を聞いた友人がこう言いました。「M君は最初に誰に手紙を書いたの?彼は両思いだったの?」その質問は私にとって雷のような電撃でした。そう聞かれるまで、私には思いが及ばなかった。と言うより、この一件についてはそこに行き着く前に自分にとっての残酷さが一切の思考を停止させていたのだと思います。少年から青年へ様々な経験を積む中には相手を思いやる気持ちも育んでいたはず。でも、ラベルを貼り封印した授業の再評価なんてできずにいた。

 「そうだよM君、僕は君を親友だと思っている。ところで、君は誰に手紙を書いたんだい。相手からの手紙は来たかい。」回り道はしたけれど、大人になった私が笑顔でつなぐ言葉は、今、いくらでもあります。不思議ですが 友人からそう言われたあの夜、ようやく長い授業が終わったような気がして少し泣けました。そして無性にこのことを先生に伝えたくなった。

 40年ぶりに再会した先生には、休みの日に絵やポスターの指導をしてもらったり、そのお陰でいくつも賞を頂いたこと、その後も自分の得意分野になっていることなどのお礼がしっかりできました。残酷な授業のこと、大人になってこの授業の本当の終了を迎えたこと、今日ようやく宿題を出し終えたような気持ちになっていることも。先生は授業についてはほとんど覚えていないようでしたが、「そうなんだな。長編小説のようだ」と感慨深げにポツリ。 私には感謝を伝えにいかなくてはいけない人がまだまだ大勢います。

プラスデコ代表 原田 学

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