長嶋茂雄さんを偲んで

皆さま、こんにちは。始まったばかりと思っていた今年も早折り返しです。「何か良いことないかな」と考えるより、良いと思うことをしている私たちになって日々を過ごしたいですね。

さて、「ミスタープロ野球」と呼ばれた長嶋茂雄さんが6月3日に亡くなりました。私が少年野球を本格的に始めた頃、近所の友だちの家で長嶋さんの引退セレモニーの中継を観たくらいなので、彼の活躍をリアルに応援した世代とは言えませんが、それでも私は、もっとも印象的で好きな野球選手に長嶋さんを挙げると思います。きっとあの時代、誰もが長嶋さんを好きだったと思うのですが、詩人のサトウハチローさんが『長島茂雄選手を讃える詩』に綴ったように、私にとっても「長嶋茂雄はやっているのだ」と、私にエネルギーを注いでくれるような魅力のある人でした。

疲れきった時  どうしても筆が進まなくなった時  いらいらした時  すべてのものがいやになった時
ボクはいつでも  長島のことを思い浮かべる  長島茂雄はやっているのだ  長島茂雄はいつでもやっているのだ
どんな時でも  自分できりぬけ 自分でコンディションをととのえ  晴れやかな顔をして  微笑さえたたえて
グランドを走りまわっているのだ  ボクは長島茂雄のその姿に拍手をおくる  (略)自分をきたえあげて行く
長島茂雄のその日その日に  ボクは深く深く頭をさげる

スポーツ選手にとって記録は何よりも大切かもしれませんが、観る者にとってそれより大切なものは、「よし!私だって」と、立ち上がって歩き出す力を与えてくれることのように思います。そう思うと、スポーツ選手や秀でた人ばかりでなく、私たち一人ひとりが、かかわる誰かにとってそのように生きる幸せがあるのかもしれません。東京ドームの三塁側にある長嶋ゲートという入口には大型のレリーフが飾られていますが、このレリーフが表すシーンはなんと「三振」!です。長嶋さんは、このレリーフを観て、「思い切り振っているシーン。あれが僕の代名詞に見えますね。このように作っていただいたことは本当に嬉しい」と話したそうです。全身を使った豪快な空振りでヘルメットが飛んでいる「三振」!バッターにとっては負けや失敗とも言える三振ですが、そこにも愛すべき姿があったり、人々に記憶されることを忘れてはいけないと思うのです。

日経新聞に掲載された2007年の「私の履歴書」を読むと、長嶋さんが立教大学時代の恩師、砂押監督に薫陶を受けていたことがわかります。長嶋さんにメジャー行きを勧め、「これからの若い世代は、メジャーを見習わなくてはいけない。それは個性の重視だ。あのディマジオでさえ、全力疾走して決してあきらめないだろう。お客さんに評価される自分の野球スタイルを自分でつくることだ」と言われたそうで、その頃から少々派手なプレーの工夫も始めたというのですから、さすが長嶋さんです。もう一つ。「長嶋は野球の天才で動物的勘の男だ」というマスコミによる長嶋像ができあがると、試合前の練習ではわざと2、3球で切り上げて見せたそうです。もちろん本人は自分が天才肌ではないとわかっています。人がいないところでは、夜中の1時、2時に苦闘してバットを振り、自分との血みどろの格闘を必死にやっていたと語っています。(すごい!)

そんな長嶋さんは2004年、アテネ五輪代表を指揮する矢先に脳梗塞で倒れてしまいました。リハビリを支えた人の証言によれば、このときには、自分が懸命にリハビリをする姿を積極的に見せ、同じ時期に通院していた人たちが「自分もミスターのように頑張る」と燃えたことを伝えています。

私は長嶋さんのすべてを知るわけではありませんが、「人をしあわせにするという志に生きた人」だったように思います。とても足元には及ばないことは百も承知の上で、それでも私もミスターのようになりたい。彼が巨人軍に入団した年は偶然にも当社の創業と同じ年です。私にとってもっとも印象的で好きな野球選手の訃報に接して捧げるのは、負けや失敗があっても愛される人や会社になるための努力しかないのだと思います。
長嶋茂雄さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

プラスデコ代表 原田 学