20年ぶりの再会

 皆様、こんにちは。例年のこの時期に比べて雨が少ないような気がしますが、車で移動することの多い私がびっくりするのは、局地的に猛烈な雷雨に見舞われることが度々あるということです。いつの時でも異常気象を作り出しているのはマスコミで、マクロ的に見れば大きな変化はないという指摘もありますが、そうあって欲しいと思うのはきっと私だけではないですよね。

 さて、もう20年以上、年賀状のやり取りだけになっていた私のサラリーマン時代の上司(Tさん)との話です。ここ何年か、「今年こそはお会いしたいですね…」と本音で一筆添えていたのですが、今年のTさんからの年賀状には、「早期退職の制度で一年早く卒業した」と綴られていました。Tさんを知る家内は、その通知に「ちょっと意外だね」と応えていましたが、私も同感でした。Tさんは私のいた部署の課長として海外から戻られましたが、赴任する時と全く異なる事業分野に帰任するのは珍しいことだったかも知れません。Tさんが元いた部署の私の同期から、「お前のところにスゴイ人が戻るらしいぞ」と耳打ちされたことを考えると、彼の部署からすれば、こちらに戻らなくてホッとしているというニュアンスがあったのかも(笑)。それは、Tさんの仕事に対する精緻さや厳しさ故だったろうとその後に分かることになります。

 私がTさんに会いたかった一つの理由は、どうしても謝りたいことがあったからです。私が会社を辞める時、Tさんから、「原田君なら正直に言ってくれると思って言うのだけど、私の問題点を教えて欲しい」と頼まれ、迷った挙句の割には、臆面もなくずけずけと手紙に書いて送ってしまったのです。以来、仕事における役割も変わり、多少の学びを得るに従って、あの時に書いた自分の思いが、いかに私の都合で綴ったものだったかが露呈し、毎年毎年、その悔恨は深いものになっていたのです。

 今回、20年ぶりの再会が実現したのは、Tさんからのお誘いでした。喜んで私は東京出張のある日の夜をあてることに。背が高く、ダンディーだったTさんは驚くほど変わりなく、待ち合わせ場所では一目で彼と分かりました。断絶した時間を突貫で埋めるように、お互いの近況を歩きながら交換したのですが、お店に上がるエレベータの中でTさんは、こう言ったのです。「後でしっかり話すけれど、ずっと謝りたいと思っていたんだ」。私は正直、ビックリ&?です。私もお詫びするチャンスを待っていたのですから。

 Tさんからは、その後の海外赴任のことや、現地で体調を崩されたこと、企業戦士としてご自身のこだわりのうちに意思決定してきたことなど、いかにもTさんらしい奮闘振りを楽しくお聞かせ頂きましたが、それは私が部下として働いていた頃のイメージそのままでもありました。そして、Tさんがずっと謝ろうとしていたこと。それは、「自分の思いばかりで、部下を振り回していた、特に直下の原田君には苦労をかけていたはずだ」と。夏休みだったろうと思う。中期計画の修正か何かで、確かに急遽呼び出されて資料作りに没頭したことがあります。Tさんは、その時のことも口にされたので、「苦労をかけた」一つに数えているのでしょう。でも、その時のオフィスには私以外に人の姿はなく、若僧の私が頼りにされているとの自負は、苦労どころかビジネスに生きる現在の私の支えでもあるし、誇りでもあったのです。部長も事業部長も時には本部長でさえ、Tさんの検印さえあれば安心して内容をスルーするようなところがありました。私の目の前には厳しいけれど、越える価値のあるT課長という堰があり、その環境で私の仕事の基礎は形成されました。時を経てこそできる理解があり、感謝すべきことがある。時には、反転する価値すらも。Tさんの部下であったことが今の自分にとってどれほどプラスだったのか、伝えられる限り、感謝を込めて伝えました。翻って、私の手紙での非礼。皆さんのご想像の通り、Tさんは当時の部下目線の率直な思いとして喜んで受け止めてくれていました。
20年ぶりの再会に乾杯。新たな関係への発展を互いに楽しく想像しながら、夜は更けていったのです。

プラスデコ代表 原田 学