甲子園へ 限りある機会への全力投球

 皆様、こんにちは。お盆を過ぎた途端、あれほど暑かった夏が嘘のように朝夕はすっかり秋の気配ですね。多少の残暑は残るかも知れませんが、皆様の爽やかで健康的な秋を祈りつつ、本号をスタートします。

 さて、私がかつて高校球児だったと言うと、「意外!」と反応されることが多いのですが、そうイメージされるのは仕方ないほど(体格も小柄だし)、日頃の私と野球の縁は皆無です。プロ野球の話題には疎いし、どの高校が県を代表して甲子園大会に出ているかすら知らないことだってあります。でも、今回はちゃんと知ってますよ。上田西高校。後から私立高校と知って自分の無知ぶりには呆れましたが、甲子園では見事な初戦突破、強豪作新学院戦でも堂々とした戦いぶりでしたね。

 何年かぶりで高校野球をテレビ観戦する夏となった私、久しぶりだからなのか、今夏が特別なのかはかかりませんが、率直な感想は、“面白い!”

 まず、投打にわたり高校野球のイメージを超えるスピード感には驚きでした。投じれば140km超の速球と縦横の高速変化球がバッターを翻弄します。バッターはイチロー張りのバットコントールで好投手から見事なヒットを飛ばすし、ここぞの場面でのホームランも目の当たりにしました。
野手の固い守りにも思わず「うまい!」と声を上げてしまうプレーが連発。明らかに精度の高い技術を身につけているのがわかります。投手起用も昔ながらの先発完投でなく、好投手の継投を勝ちパターンにしているチームも少なくないようです。選手の多くは恵まれた体躯に加え、好選手にイケメン多し!

 3年生にとって、「負ければ終わり」の緊張感はプロ野球にはない魅力で、負けて散る選手が泣きじゃくる顔を帽子で覆う姿には、思わず瞳の奥がジンと熱くなります。若ければしたいであろう多くを犠牲にしてかけてきた道が、そこで終わる無常に彼らは耐えねばならない。あらためて観る高校野球の魅力、これは高校生活という「限られた期間」、野球という「限られた道」を選び、それにかけた者同士が競うことにあると思えます。
「負けたら終わり」。これが前提だから自ずと手加減なしの真剣勝負が生まれます。

 試合を離れても、彼らの奮闘ぶりは健在で、微笑ましくも感動的な一幕もネットで知りました。秋田商が負けて去る日、彼らはそれまでお世話になった宿舎のスタッフに向けて感謝のメッセージを寄せ書いています(上の写真)。散って去る者として、なんと清清しい別れ際でしょうか。

 思えば私たちの生活は、「限りのない」モノや機会に囲まれています。なのに決断を先延ばしにすることで多くの選択を放置している(私だけ?)。それでいて自分らしく生きられないことを嘆いたりします。

 心理学者のバリーシュワルツは、「個人の幸せを最大限にするために、最大限の選択の自由を与えるという考えは幻想である」と述べています。ベストの選択をしたいとの欲求が、多くの中から自由に選択することを難しくし、選択後も、もっといい選択があったのでは?の思いが自分の選択に不満をもたらすのだと。

 3年の夏までと限られる挑戦に、純真に野球に身を投じる。負けに悔恨はあっても、高校野球を選んだことに不満な球児を想像しにくいのは「限りある機会への全力投球」が誰の目にも見えるからなのかも知れません。

 かつて高校生だった自分と少しだけダブらせて観た甲子園大会。体も技術も心も、文句なく今の若者はすごい!彼らの全力プレーに、「負ける」を経験して磨かれる未来に、心からの拍手を贈りたいと思います。

プラスデコ代表 原田 学