新たな期がスタート

皆さん、こんにちは。これを書いている10月の連休は9月までの雨の多い天候が嘘のようにいいお天気が続いています。気象庁によると上空の寒気の南下が弱いため、11月にかけても例年より暖かい日が続く見込みとのこと。皆さんが思い出深い今秋を過ごされますことを心よりお祈りしています。

さて、当社では10月から新たな期がスタートしました。社長になってかれこれ25年になりますが、我ながら、「もっとこうしてくればよかった!」と思うことは多くてがっかりもします。誤解があるといけないので言っておきますが、現場の皆はお客様の笑顔のために努力をしてくれ、この事業をよく支えてくれていると思っています。私も努力をしないわけではなかったと思いますが、それが自分可愛さだったり、「私はちゃんとやっている」というポーズのための仕事だったように思えてがっかりするのです。

先日、春に定年で退職した社員さんと話す機会がありましたが、その社員さんはご贔屓のお客様に意を決して意見したことがありました。それがこじれて数年間取引は中止となり、本人も半ばノイローゼのようだったことを思い出します。私は上から目線にも、そのことにアドバイスしたつもりになっていましたが、今、自分を振り返ってみれば、「彼のように意見を言うこともなく、嫌われないように自分を守ってきた私が言えたことか!」と思うのです。この2、3年こそ、将来のことを考えながら、困ると思う社員さんに注意をしたり、違う道に進むように話をすることがありますが、人を大切にするというなら、それはわかり次第早々に言ってあげるのが親切というものでした。私は争うことを嫌って物分かりの良い上司でいるところがありますが、チームの目標や目的のためになるならまだしも、誰かの都合に加担するような物分かりの良さなら悪でしかありません。今になってこれを言うのは、職場であってはならないことが起こっても、自分では「相手を思ういい人」を演じてしまい、結局は他人事としてしか関わらない冷たい社員さんを作っている可能性があると思ったからです。長らく私は、人の悪いところはなるべく見ないようにして相手を嫌いにならない方がいいと思ってきましたが、それは余りにも自己中心的な生き方だったし、社員さんを家族と思うなら、あってはならなかったと思っています。社員さんを傷つけたくないと思いながら、傷つきたくなかったのは実は私の方だったというわけです。

私たちはそれぞれに異なる知性、価値観を持って生きていますが、それは観たいように観たり、考えたいように考えて生きていればよいということではないと思います。人がそれぞれ異なっているからこそ、それぞれを差し出して、思いもよらない全体像をつかむことができるのかもしれません。『座右の寓話』という本の最初のエピソードに「六人の盲人と象」という話が紹介されています。ある日、六人の盲人が象を触ってその正体を突きとめようとするのですが、一人目の盲人は象の鼻に触り、「象とはヘビのようなものだ」と言い、二人目は象の耳に触って、「象とはうちわのようなものだ」と言いました。三人目は象の足に触って、「象とは木の幹のようなもの」、四人目は胴体に触って、「象とは壁のようなものだ」と言います。五人目はしっぽに触って、「象とはロープのようなものだ」と言うと、六人目の盲人は象の牙に触り、「象とは槍のようなものだ」と言いました。 それから、六人の盲人たちは長いこと大声で言い争い、それぞれが自分の意見を譲らないという話です。

私たちは物事や人物の一部分を理解して、それがすべてだと錯覚してしまうことがあると思います。しかし、把握しているのは常に全体の一部にすぎないことを知っていれば、他の視点や知らずにいる事実は誰にとっても物や人を正しく捉える大切な情報になると思います。私たちはチームで仕事をしていますが、知らずにいることを知ろうとする努力も、異なる価値観を尊重することも、私たち一人ひとりの人生を豊かに、幸せにするのに必要な共同作業なのだと思います。今期はそんな当たり前を胸に、皆と力を合わせていきたいと思います。

プラスデコ代表 原田 学