許す力

皆さま、こんにちは。夏の気温に40度を予想したり記録するような暑さがやってくるとは思いませんでした。ともかく猛暑には対策あるのみです。くれぐれもご自愛くださいますように。

落ち着きそうだと思った中東情勢もその後の戦闘がやむ気配がありません。私には宗教や政治のことは分かりませんし、戦争を知らない世代なので理想論にすぎるかもしれませんが、国家間の武力による戦争を外交手段の一つと捉えたり、平和の手段になるとは思いません。昨年、阿智村にある満蒙開拓平和記念館で、生きて帰ってきた方々の証言に触れましたが、どの話にもにわかには信じられない凄惨なシーンが出てきます。戦争という環境がもたらす狂気としか思えず、そうなったら人間として生きているとは言えないように思います。

知的障碍者施設「のらねこ学かん」館長の塩見志満子さんは、人を許すことについてご自身の体験を語っておられますが、私は「どこまで人を許せるか」が争いを止める分岐点になるのではないかと思っています。 安全圏にいる私だから言えるのは承知の上ですが、許す力を思わないわけにはいきません。

塩見さんのご長男は白血病のために小学二年生で亡くなりました。四人兄弟姉妹の末っ子の二男が三年生になると、夫婦で「ああこの子は大丈夫じゃ。お兄ちゃんのように死んだりはしない」と喜んでいたそうです。ところが、その二男もその年の夏にプールの時間に沈んで亡くなってしまいます。

塩見さんが知らせを受けて駆けつけたときにはもう亡くなっていて、集まってきた子供たちが、「ごめんよ、 おばちゃん、ごめんよ」と泣いています。理由を尋ねると休み時間に誰かに背中を押されてコンクリートに頭をぶつけて、沈んでしまったことを話してくれました。

彼女には「押したのは誰だ。犯人を見つけるまでは、学校も友達も絶対に許さんぞ」という怒りが込み上げてきます。新聞社が来て、テレビ局が来て大騒ぎになったとき、高校の教師だったご主人が大泣きしながら駆けつけてきました。そして、塩見さんを裏の倉庫に連れていって、こう話したそうです。「これは辛く悲しいことや。だけど見方を変えてみろ。犯人を見つけたらどうなる。わしらは死んだ子をいつかは忘れることがあるけん、わしら二人が我慢しようや。校医の先生に心臓麻痺で死んだという診断書さえ書いてもろうたら、学校も友達も許してやれるやないか。そうしようや。そうしようや」

塩見さんはビックリしてしまって、「この人は何を言ってるんだろう?」と思うのですが、ご主人が何度も強くそう言うものだから、仕方がないと思って友達も学校も許したそうです。これは30年も前の話ということでしたが、塩見さんはご主人の言うとおりだったと語っています。争ってお金をもらったり裁判して勝っても何にもならない。許してよかったと思うのは、命日の七月二日に墓前に花がない年が一年もないことや、毎年友達が花を手向けてタワシでお墓を磨いてくれていることだそうです。優しい人が育ってくれたと。

大切な人に何かあったら、私はどこまで人を許せるのだろうかと考えてみましたが、戦争には反対と言いながら、もし復讐に燃える私になったときにどうするかはわかりません。現在の中東危機にもつながるホロコーストにどんな教訓を得るかでそれからの道が平和か戦争かに分かれているという見方があります。「二度とこのようなことが起きてはならない」と考える人たちと、「二度と私たちに、このようなことが起きてはならない」と考える人たち。争わないか、それとも自分たちにそれが二度と起きないように争うか。争う限り終わりはありませんし、争わないとすれば許すしかありません。許しがたいことを許してはじめて、その先に平穏も幸せも続いていくように思います。今の私に何ができるわけでもありませんが、甘やかしでない限り、人を許しながら生きることはすべきことかもしれません。元より不完全な私です。多くを許してもらっていることばかりな気もします。

プラスデコ代表 原田 学